無能の使い道っていろいろあるよね♪
【速報】フジテレビ発女性アイドルグループ始動
1 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:33:39.34 0.net
アイドルING!!!?ネクスト育成ング!!!?
『アイドルING!!!チャンネル』の開設を機に、番組内で新アイドルの育成プロジェクトがスタート!
2015年に“メンバー全員が卒業した”アイドルグループ・アイドリング!!!の元メンバー数名が集結し、
オーディションで選ばれたアイドル候補生にバラエティのイロハを伝授していきます。
かつて大人気だった番組「アイドリング!!!」の懐かしい内容をそのままに、
元・アイドリング!!!メンバーが体を張って、後輩たちを指導して行きます。
プロデューサー 神原孝・岩崎佑生
脚本 酒井健作
出演 元アイドリング!!!メンバー、新メンバー
6 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:37:52.37 0.net
出演メンバーがポンコツばっかじゃねえか!
7 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:38:15.04 0.net
尾木、SMA、ナベプロ、avex、ボックス、松竹
のメンバーが参加か
レプロは入ってないな
14 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:42:14.60 0.net
せめてCSフジでやれよ
18 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:45:56.90 0.net
こんなのいいから
アイドリングフェスやれよ
マジパン、トイスマも呼んで
22 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:48:09.80 0.net
※この放送は前半無料、途中からチャンネル会員限定放送へと切り替わります。
10/14(土)夜7時~ 隔週放送でFRESH!にて元アイドリング!!!メンバーを講師に迎えた
新アイドル育成番組「アイドルING!!!」(アイドルアイエヌジー)がスタート!
今回は、本編始動に先立って元アイドリング!!!メンバー10名集合での生放送のトーク番組を放送します♪
◆番組概要◆
タイトル:アイドルING!!!#0~懐かしのメンバーで生トークング!!!~
日時:9/27(水)夜10時00分~
出演:元アイドリング!!!メンバー
河村唯・酒井瞳・橋本楓・橘ゆりか・倉田瑠夏・高橋胡桃・玉川来夢・石田佳蓮・古橋舞悠・関谷真由
24 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:48:42.07 0.net
>>22
誰一人として売れてないな
26 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:50:13.87 0.net
つうか売れてない子の救済だろ
40 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 16:59:33.57 0.net
初期メンバーいないな
河村酒井はもうお腹いっぱい
117 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 17:33:35.30 0.net
アイドリングの楽曲は引き継いでくれ
121 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 17:35:02.05 0.net
こんなもんアイドリングの二の舞
フジも懲りないなあw
132 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 17:38:14.92 0.net
つーか今乃木坂に企画パクられまくってるけどね
直近の回は学級会ングだったしモノマネもやったし顔ジェスチャングもパクられた
172 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 17:49:25.71 0.net
アイドル番組って言ってもテレビ番組じゃないからな
元リンガーから金を巻き上げようとしてる単なるネット番組
223 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 18:04:47.47 0.net
ネット放送じゃなあ
せめてCSフジだよなあ
283 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 19:02:07.92 0.net
マジパントイスマにいるリンガーうざい
289 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 19:04:11.19 0.net
>>283
それはしゃーない
両方とも元リンガーを囲い込む動きしてるし
317 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 19:21:27.72 0.net
神原って人ってアイドリング作った人でしょ?
何でそんなに嫌われてるの
323 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 19:23:49.93 0.net
>>317
初期だけ少しだけ関わって
その後は門澤が長らく総合プロデューサーやって
神原が総合プロデューサーになって2年で解散
438 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 20:38:32.96 0.net
バカリズムがいなければ爆死確定
468 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 21:07:35.79 0.net
アイドリング凋落は5期オーデ大失敗からだよ なんでも神原のせいにするのはみっともない
478 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 21:18:49.51 0.net
失敗してないのに無理やり終わらせられたからまだまだ使い道あってやってもらってんだろ
481 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 21:21:50.91 0.net
菊地や朝日や大川が参加しない事でレベルの低い話なのがわかる
506 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/26(火) 21:50:29.30 0.net
娘。がアサヤン終了と同時に解散だったらこんな風になったのかな
さまよう亡霊を成仏させてあげてくれよ
528 :fusianasan@\(^o^)/:2017/09/26(火) 22:25:43.37 0.net
見た目良い娘来たら、面白くない、空気よめねーとか言ってネチネチやりそーな元メンバーばっか
633 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 10:09:58.18 0.net
新メンバーとかいらんから
アイドリング復活すればいいのに
655 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 13:00:31.13 0.net
これけものフレンズに関してのツイートなんだけど色々思い当たるなぁ
Takayasu Kuroda @kurodamu00 9月25日
これぐらい売れるとそれまで「どうせ売れねーだろ」みたいなスタンスだった人たちが掌を返して主導権を取りにくるのはよくあることだけど、大概そいつら井戸掘った人へのリスペクトは皆無なんだよね。リスペクトする余裕もないぐらい必死というか
656 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 13:01:49.21 0.net
>>655
アイドリングやTIFのことか
658 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 13:58:47.17 0.net
たつき監督の後任が失敗したら無能と叩かれるだけ
門澤の後任が失敗して無能と叩かれてるように
だが逆説的に門澤がすごい有能と言うわけではないがな
661 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 16:06:02.05 0.net
>>633
高齢化してるから卒業メンバーでの再結成はあり得ないな
新メンバーがアイドリングの楽曲を受け継ぐようになる
714 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/27(水) 23:24:15.93 0.net
ニコはち楽屋って感じだったな
ただ隔週で一回一時間ってのはコメントでもあったけど物足りない
751 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/28(木) 21:50:12.25 0.net
1回1時間の月2回程度だったら高見と沖口は参加しちゃえばいいのに
後さかっちの後輩のゆめかも番組見てたとか言ってたから
バラエティ修行で入ったらいんじゃないかな
752 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/28(木) 21:51:05.12 0.net
トイスマでいいだろ
754 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/28(木) 22:17:48.40 0.net
アイドリングメンバーが指導する生徒は無垢のアイドル候補生で良い
名前の知っているやつを連れてきても面白くも無い
781 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/30(土) 02:16:18.09 0.net
アイドリングしぶといな
783 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/09/30(土) 06:50:46.85 0.net
ほかの人間はどうだか知らないが
とりあえず朝日だけは笑って人生送れないとしたらそれは世の中が間違ってるレベル
無能 ふるさとメディア
【リバタリアン】
リバタリアンは、自由至上主義者などとも呼ばれ、新自由主義者(ネオリベラル)及び新保守主義者(ネオコンサバティブ)の中核を成し、アメリカ人上流階級及び産業界及び共和党支持者の主流派を形成しています。
リバタリアンの思想の代表者のひとりは、ユダヤ系アメリカ人の女性哲学者・小説家アイン・ランドです。アイン・ランドはもともと帝政ロシアで生まれ、幼少期にロシア革命を体験し、青年期に黄金の1920年代のアメリカに渡りました。そして1940年代~50年代にかけて「肩をすくめるアトラス(1957)」などの代表作を執筆しました。
この小説は1990年代に米国議会図書館の調査で、「人生で最も影響を受けた本」の第2位に入り、当時ワシントンポスト紙で報道されたそうです。今でも毎年30万部は売れる驚異のロングセラーということです。ちなみにこの時の1位は聖書でした。
さらに、1940~50年代の時期に彼女が発表した小説群は、1998年の「アメリカの一般読者が選ぶ20世紀の小説ベスト100」において、1位・2位を獲得し、なおかつベスト10圏内に4冊(ランドの執筆した小説全部!)が入りました。日本ではほとんど知られていませんが、ランドは名実ともにアメリカ人が最も影響を受けている20世紀の作家と言えます。
彼女の思想は「利他主義・博愛主義は忌むべき弱者の思想であり、社会を破滅に導く猛毒である」「むしろ徹底的な利己主義こそが世界を救う」というものです。エゴイズムを積極的に肯定し、個人の自由意志を至上のものとし、すべての社会問題を個人の自己責任に帰する社会を希求しました。
政治的にはあらゆる規制に反対し、完全な〝自由放任主義〟を主張します。健康保険も年金も福祉も、すべて民間に任せるべきであるという考えですね。アメリカでは共和党の中でも特に最右翼に位置する人々の考えを代弁しており、社会的弱者を救うためのあらゆる課税・増税に反対します。
その「政府の規模は小さければ小さいほどよい」という考え方の背景にあるのは、「権力は必ず腐敗する」という確信です。確かに中国やロシアや北朝鮮など国家権力の強い国に限って、アメリカ以上に途轍もない貧富の格差が生まれているのは事実です。
さらにランドは、国家による福祉の充実を、弱者に迎合する社会主義的政策として嫌悪しました。彼女は、政府のあらゆる規制からの〝自由〟をもっとも重要な人権と考え、個人の自由意志による自己決定こそが、社会が尊重すべき最も大切なものであると信じていたのです。これはある意味、無政府主義にも通じる考え方です。「一切、国に頼るな!」ということですね。
こうした主張は「過去に自分のしたあらゆる決断に対して〝自己責任〟をとれる」と考える強者のための哲学です。〝近代〟の権化とも言えるこのランドの哲学には、ニーチェの〝超人思想〟の影響が色濃く現れています。「神は死んだ」と言ったニーチェ同様に、ランドは自らの理性を絶対的に信頼し、あらゆる宗教と信仰を〝弱者の気の迷い〟として否定・拒絶しました。そして自分の思想を『客観主義』と表現しました。
しかし興味深いことに、日本のリバタリアンには、大川隆法のように巨大な宗教教団を持っている教祖もいます。大川氏率いる幸福の科学教団と幸福実現党は、非常に霊的な宗教団体でありながら、日本を代表するリバタリアンの政治団体でもあるのです。実際、ランドの支持者の中には、熱心なキリスト教徒も多いそうです。従ってリバタリアンとスピリチュアリズムの親和性については、もう少し考えて見なければなりません。少なくとも、彼らの〝信仰〟は、わたしの考える信仰とはまったく別物なようです。実際、「リバタリアニズムは、キリスト教信仰によって担保されている」という主張もあるのです。
さてランドは、経済に関してはアダム・スミスの古典派経済学を100%支持します。機会の平等とルールの平等に則った生存競争こそが、社会を発展させるという考えですね。「大切なのはズルをしない公平な競争である」として、生存競争でなりふり構わず勝ち抜こうとする個人のエゴイズムを積極的に肯定したので、今も保守派の富裕層から熱狂的な支持を受けています。
さらにその富裕層からの豊富な資金によって活動するリバタリアン政治団体に、最近注目されている〝ティーパーティー〟があります。共和党の有力な支持団体である彼らの2009年(リーマンショック後)の標語は「アイン・ランドは正しかった!」というものです。代表作「肩を竦めるアトラス」に描かれた近未来の世界の破滅の情景が、現実に重なったように感じる人が多かったのでしょう。
明治の日本では、個人の自立と自尊を論じた福沢諭吉が、元祖リバタリアンと言えるかもしれません。「学問をすることによって人の上に立てる」という福沢の考えは、通俗的ではありますが、怠惰を憎み勤勉と能力の活用を貴ぶリバタリアンの考え方の典型をよく表しています。
しかし、現代の世界の情勢を見渡した時、わたしはリバタリアニズムをおおらかに肯定する気にはなれません。人生のあらゆる局面での決断とその結果に、完全な自己責任を主張するリバタリアニズムは、能力と環境条件に恵まれた一部の人々による、どこか独りよがりな思想に思えるのです。
J・S・ミルの質的快楽を求める功利主義の考えに基づいて「究極の利己主義は、最も効果的に利他に通じている」という彼らの主張は、理屈としてはわかります。人を救うのも、あくまでも「自分が気持ちいいから、自分のためにそうしたいから、助けるのであって、利他主義からではない」というスタイルは、わたしも嫌いじゃありません。そう考えれば、人を「恩知らず」と罵らなくても済むというわけです。
「勤勉な努力で成功した優秀な富裕層から、税金で強制的にお金を奪って、怠惰極まる愚鈍な貧困層に分け与えるのは言語道断だ」と言うのが、リバタリアンの言い分です。「貧困層への援助はあくまでも個々人の自発的な寄付であるべきだ」と。それは一つの正論ではあります。
とは言え、現実の社会はまったくそうはなっていません。富める者は何の苦労もなく巨万の富をますます増やせますが、貧者はどんなに懸命に働いても生活は楽にならず、国民の四人に一人は健康保険にすら入れないというのがアメリカの現実です。ランドによって肯定された個々人のエゴイズムは、社会に容認されることによって、かえってタガが外れてしまい、限りなく肥大していくだけなのです。
そして、人類愛から自分の財産を投げ打ってでも人々を救おうとする気前の良い億万長者など、世界中どこを探したっている訳がありません。もしいたら、カート・ヴォネガットの小説「ローズ・ウォーターさん、あなたに神のお恵みを」の主人公のように、気が狂ったと思われて、精神病院に突っ込まれるのがオチです。
結局のところリバタリアニズムは、国内の中産階級を解体して拡大し続ける経済格差をまるごと肯定し、増大する貧困層を尻目に少数の富裕層が我が世の春を謳歌するのを是認する、非常に問題の大きい思想であるとわたしは考えます。
ランドは「肩をすくめるアトラス」の中で、世の中の〝優れた人々〟が、企業家も技術者も芸術家も、愚民たちに愛想を尽かして、山にこもって自分たちだけのユートピアの建設を始めてしまい、それによって残された世界は機能しなくなって、破滅していくという近未来を描いています。
でも、わたしには、その〝優れた人々(?)〟だけの社会が、ユートピアになるとはとても思えないのです。そして、本当に優れた人々は、それを見越して一緒に山にはこもらずに、そのまま市井に残るような気がします。
現実の世界ではむしろ、リバタリアン化していく〝山(中国・アメリカ)〟から脱出した人々が、まださほどリバタリアニズムに汚染されていない〝市井(日本)〟ヘと逃れてきているのではないでしょうか。
問題なのは、〝山(中国・アメリカ)〟からの避難者である彼ら自身が、すでにリバタリアニズムの保菌者であり、〝市井(日本)〟にも感染を広めつつある情勢が懸念されることです。
たとえばリバタリアンの親であれば、どんな深刻な悩みを抱えていても誰にも相談をせずに一人で決断を下す我が子をほめるでしょう。そういう親は増えつつあるかもしれません。しかし、コミュニタリアンの親であれば「なぜ親に相談しなかったかと責める気はない。だが、なぜ神様に祈り、尋ねることをしなかったのか?」と責めるでしょう。「お前は自分の判断に狂いはないと考えるほど傲慢なのか?」と。これは、ソクラテスが弟子を叱った言葉でもありますが。
*日本における代表的なリバタリアニズムの政党は「みんなの党」「幸福実現党」、そして政治家では「日本維新の会」の橋下徹、「民主党」の前原誠司などです。かつての自民党の小泉純一郎もそうですね。最近公務員の給与削減で注目された「減税日本」の河村名古屋市長もそうです。
【リベラル】
リベラルは、自由主義者と称されますが、リバタリアン(自由至上主義者)とは正反対に、福祉重視の『大きな政府』を求めます。一部の大企業や富豪の利益ではなく、社会的弱者の利益と権利を最も重視するためです。
リバタリアンとの共通点は、権力への不信感と嫌悪ですが、それについても対処の方法は真逆です。リバタリアンは、権力は必ず腐敗するので、個人の自由意志を抑圧する政府の権限は徹底して〝小さく〟あるべきだと考えます。しかしリベラルは、あくまでも社会的弱者の代弁者であろうとして、政府のよる弱者保護を主張します。そして、社会的影響力の強大な富豪や強者の自由意志は相対的にあまり重んじません。こうしたリベラルの態度は、リバタリアンからは、弱者を偏重することで、貧乏人を無駄に甘やかしていると見えます。
リベラルは、ホームレスのための〝年越し派遣村〟を政府が用意することを求めますが、リバタリアンは、これを税金の無駄遣いと反対します。リベラルは、累進課税によって富める者から貧しい者へ、所得の再分配を行うシステムを歓迎しますが、リバタリアンは、それを政府による不当な搾取として嫌悪します。両者の見解は、こと福祉に関しては決定的に対立するのです。
リベラルの思想的源流は、アメリカの哲学者・思想家のジョン・ロールズです。ロールズの思想の中心は、〝格差原理〟と呼ばれています。これは「格差が社会において許容される条件は、最底辺の人々がその格差によって最大の利益を得ることである」というものです。これが、富裕層に多くの税を収めさせ、貧困層を救済するというシステムの思想的論拠となっています。
この4年間、アメリカ議会では上位2%の富裕層に対する増税法案を三度審議し、三度握りつぶしてきました。そして今4度目の審議が続いていますが、今回も可決される見込みはほとんどありません。なぜならアメリカの上院・下院には、富裕層からの膨大な額の献金が行き渡っているからです。議員たちは富裕層のために法案を握りつぶしてしまうのです。
アメリカ社会に富の分配があまりにも偏っており、富裕層への課税があまりにも少なく、貧富の格差が広がる一方の現在、リバタリアンの支持者がリベラル支持者より多いとはとても思えません。アメリカは、1%の富裕層が富の半分以上を独占している状況です。だからこそ、大統領選で共和党のロムニーはオバマに敗れたのです。
とは言え、大統領一人では政治は動きません。肝心の国会がまったく世論を反映していないのですから、これは完全な民主主義の敗北です。明らかに、富裕層によるなりふり構わぬルール違反のせいです。良心的なリベラルは、こうした民主主義の危機に対して絶えず警鐘を鳴らしてきました。しかし、リベラルの言葉に耳を傾ける人々は、2007年のリーマンショックまでは、残念ながら年々減り続けてきていました。しかし、最近のアメリカでは、リベラルの言葉が年々重みをましているようです。
信仰という観点で言うと、リベラルには熱心なクリスチャンも多いのですが、その一方で霊的なものへの強烈な拒絶もあります。オカルトや土着の民間信仰など、反科学的なものは一切信じないということです。かつてマルクスは「宗教はアヘンである」と言いましたが、リベラルはリバタリアン以上に民間宗教やスピリチュアリズムに対して否定的・侮蔑的なのです。
そういう意味では、リベラルには、〝正統派(?)科学〟を極端に重視する人、理性への信頼がとても強い人が多いのです。日本のリベラルに関して言えば、彼らの本音は「教養のない馬鹿は嫌い」ということです。と言っても彼らの考える〝教養〟の中身は、わたしには単なる〝偏った知識〟だけとしか感じられないことが多いのですが。
ともかく日本のリベラルの一部は、残念ながら学歴偏重や科学信仰がリバタリアン以上に甚だしく、「自分は頭がいいのだ」と思い上がっている人が多いのは確かです。経済的には社会的平等を重んじる彼らが、教養・学歴のあるなしでは平気で人を差別することに驚かされます。学校の先生や大学教授などの教育関係者、それからマスコミ関係者などに、この手の傲慢なタイプは本当に多いですね。
八女市の市長は、官民の所得格差1.8倍という状況で、公務員の給与削減の意志の有無を尋ねられた時、「せっかく頑張って試験に受かって公務員になったんだから、それぐらいの特権はあっていいだろう」と答えています。自らの能力を誇りとし、なおかつ自分の利益は守りたいという意識は、リベラルを標榜する人においても、あまりリバタリアンとかわりはないようです。
このようにリベラルは、スピリチュアルへの拒絶や理性の偏重という点ではリバタリアンと共通し、自分の能力・学歴を誇りとするという点では、リバタリアン以上に特権意識の強い面もあるのですが、政治的・経済的政策に関しては多くの点で弱者優遇の主張をしてリバタリアンと対立します。
リバタリアンの重んじる『自由』は、国家に束縛されない個人の自由意志であり、〝国家からの自由〟と表現される「消極的な自由」です。対してリベラルの重んじる自由は、国家によって保護されるべき自由であり、〝国家による自由〟とも表現される「積極的自由」です。
例えば、リベラルの理想とする国家像は、スウェーデンなど欧州諸国をお手本とした、高い税を徴収して手厚い弱者保護を実現する高度福祉国家です。ですから彼らの真意は、実は常に〝増税〟にあります。にもかかわらず、日本のリベラルが、政治的には消費税減税を全面に打ち出すのは、何か卑怯な感じがします。
日本について考えると、防衛問題に関しては、リベラルは9条絶対擁護派で、全方位平和外交を理想としますが、右派リバタリアンは9条改正派で、自衛隊の名称を「軍」に変えたがっており、アメリカとの軍事同盟堅持を重視します。また核武装支持者も多いかもしれません。リベラルはそうした憲法改正派の言動を、日本を戦争に巻き込む危険な思想だと非難しますが、一方で北朝鮮や中国からの国土防衛については、まったく語りたがりません。
一般に、リベラルは左派と考えられ、リバタリアンは右派と考えられています。つまり、日本の場合、リバタリアン➡右派・原発推進・TPP推進・9条改正は賛成・日米同盟重視・福祉削減・軍備拡充・公務員削減・所得税法人税減税(消費税は増税可)であり、対してリベラル➡左派・原発反対・TPP反対(十分な生産者保護有れば賛成)・9条改正は反対・日米同盟軽視・福祉拡大・軍備縮小・公務員現状維持・消費税増税は阻止(法人税・所得税増税)を求めることになります。
上でも述べたように、本来はリバタリアンはあらゆる増税に反対します。リバタリアンいわく「権力は必ず腐敗する」です。政府にお金が集まれば、その用い方を巡って官僚の横暴が始まるのは、中国やロシアの政治を見れば一目瞭然です。一方でリベラルは消費税増税は反対ですが、大企業や富裕層への増税を求めます。増税しなければ公務員の給料も維持できませんからね。
また、両者の共通点としては、こと天皇制に関しては、まったく重んじていないということが挙げられます。それどころか「天皇制は、個人の自由を抑圧する因習的な伝統であり、過去の歴史の遺物である」として、遠からず消滅すべき前近代的制度と考えています。こうした皇室軽視は、コミュニタリアンにとっては断じて耐え難いものです。
明治の日本では、自由民権運動をリードし、東洋のルソーと言われた中江兆民が、初代リベラルの思想家と言えるかもしれません。その弟子の幸徳秋水は日本最初の社会主義者の一人です。
ところで、わたしは現代のリベラルの人々の考えに、ある種のご都合主義の臭いを感じます。特に防衛問題に関しては、その胡散臭さを強く感じるのです。「集団的自衛権を認めるのは、国民にアメリカのために血を流せと要求しているのと同じだ」とリベラルは主張しますが、では、中国が尖閣に攻めてきたとき、アメリカ兵には血を流すことを彼らは要求しないのでしょうか?
本当は「基地がないと困る」と思っていながら、基地反対を訴えることで政府からお金を引き出そうとする沖縄の基地地主たちもそうです。文句ばっかり言って怠惰にかまけて他者の労力にもたれ、他者の稼いだ利益を吸い上げる、アイン・ランドが最も嫌ったタイプの人たちです。(*ただし、わたしからみると、金融資本主義において配当という形で他人の努力を掠め取る億万長者の株主たちも、同じ類に見えるのですが…。)
また自分の親は施設に預けて、優雅にボランティアに精を出す人もいます。「いい施設にいれているから安心」などと言って親は放り出し、自分は外で女性問題など社会問題に関わったりするのです。彼らは口では「世のため、人のため」と言いながら、内実においては我欲が渦巻いていて、本当は地位・名声を追いかけることしか関心のない人たちのようです。
残念ながら、そういう風におもてづらでは綺麗事を言いながら、実はなりふり構わず権力を追いかけるという裏腹なタイプが、リベラルには結構多いのです。そんな偽善的なリベラルに比べたら、欲望に忠実なリバタリアンの方が、まだしもかわいらしく見えてくるほどです。(*ただ、こうした権力意志の強い右派リベラル〈=左派リバタリアン〉は、状况次第で、コロリとネオリベラルに転向する例が多いようです。)
政治資金規正法制定前の政治家は、個人に献金が集まったので、どの位集金力があるかでその実力が測られました。その献金によって委託された想いに個人的に応えるために、官僚にも命懸けで政治家はモノを言いました。今の政治家が官僚にモノを言えないのは、政党助成金によって政党ごと国に飼われているからです。〝金権政治〟が悪いと言って、むしろ
無能な政治家が輩出する最低の制度を作ってしまったのです。リベラルの最大の問題点は、社会システムの改革と改善の効用を盲信しているところです。
*日本における代表的なリベラル政党は「日本共産党」と「社民党」ですが、興味深いのは小沢一郎です。本人はもともとリバタリアンのはずですが、リベラルを装って支持者を集めるという手法をとっています。今回の「日本未来の党」結党もそのパターンですね。
【コミュニタリアン】
コミュニタリアンは共同体主義者と翻訳されます。この思想はマイケル・サンデルによって、新しい命を吹き込まれ有名になりました。「ハーバード白熱教室」は、コミュニタリアンであるサンデルが、学生たち自身に自らの思想的位置を、リバタリアン・リベラル・コミュニタリアンのいずれであるか自覚させつつ、スリリングな議論を展開していく授業でした。
コミュニタリアンは、自己を共同体によって育まれた存在と考えます。そして、自分を支えてくれている共同体への敬意を重視します。愛郷心や愛国心は、時には個人の自由より重んじられるべき時があります。そして当然、皇室の存在は重んじられなければなりません。ここが、個人の自由を最大限に重んじるリベラル・リバタリアンとは、決定的に相入れない点です。上記の二つの思想の潮流とは異なり、コミュニタリアニズムは、古来からのこの国の伝統の中に息づいているのです。
とは言えリベラル・リバタリアンから見ると、時代錯誤の軍国主義者に思えるかもしれません。彼らにとって、国家という枠組みは、ジョン・レノンが「イマジン」の中で歌っているように、いずれは消滅すべきものです。しかし、土着性を重視するコミュニタリアンにとってはそうではありません。家族や地域共同体が大切なように、国家もまたかけがえのない大切な共同体なのです。
コミュニタリアンは、小さな共同体から大きな共同体まで、肌感覚として境界線の内と外の感覚を重視します。そして自然な内と外の感覚を無視する規制緩和と自由貿易主義とグローバリズムに反対します。たとえばリベラル・リバタリアンは、国境の意味を薄めてしまい、より自由な交流を促進するTPPに概ね賛成ですが、コミュニタリアンはそのような世界市民主義には猛反対します。そして無制限の移民や国際化にも非常に否定的です。日本の文化に興味を持たず、日本語も話せない人たちが、日本国籍を取ることは、受け入れ難いと感じるからです。
また、海外からの留学生に対して、一切の授業料を日本政府が持ち、さらに返済義務のない奨学金を月17万円支給するというやり方にも、憤りを覚えます。日本国民への奨学金には返済義務があるのです。しかも、途上国からの奨学制度による留学生は、みな現地では恵まれた立場の公務員です。平均月収500円の最貧国で月収5~6万円を取る彼らこそが、それぞれの母国では特権階級なのです。こうした現地の富裕層に、さらに特別な恩恵を与えることに、いったい何の益があるというのでしょう。しかも大学院卒の研究生ともなれば、毎月32万円が大学側から支給されます。至れり尽くせりとはこのことです。
留学生たちは、数年を経て国に帰る時には、みな数百万円は溜め込んでいます。ただし、それも母国に帰る気があればの話です。充分な資金を得たら、母国に帰りたがる者は少ないのが実情です。たいていはカナダやオーストラリアへ移住してしまいます。
ですから彼らが日本にきたのは、決して向学心や日本への興味・関心からではなく、はっきり言えば奨学金目当てなのです。何年ここにいても日本語もろくに覚えようとしない、カナダやオーストラリアへの移住ばかり夢見ている、怠惰で愛国心のかけらもない外国人に、この財政難の中で甘い汁を吸わせ続けるのは、実に無意味極まりない援助のあり方です。むしろこうした制度は、真面目に頑張っている日本人学生への逆差別ではないでしょうか。
さらに外交上コミュニタリアンがもっとも不満を感じるのは、中国・韓国政府が、靖国問題・従軍慰安婦問題などで理不尽な抗議や内政干渉をしてくるのを黙認しながら、両国国内での史実を大きく逸脱した学校・資料館・映画・テレビの執拗な反日教育に対して、日本政府が一度たりとも抗議したことがないという事実です。こんな状態で、まともな「友好関係」などあり得ないです。
コミュニタリアンは、リバタリアンのように統一的な国際ルールに基づいた平等な競争など信じません。またリベラルのように善意に基づいた社会救済システムの構築が人類を幸福に導くとも信じません。信じるのは、むしろ伝統と歴史に支えられた〝文化の力〟です。共同体による感化力と言ってもいいでしょう。
例えば最近の子育て支援についても、「政府の支援があれば産む」というお母さんのあり方には嫌悪感しかありません。今よりはるかに貧しかった時代でも、国家の保護を当てにして親が子を産んだでしょうか。子どもはただただ欲しいから、あるいは淋しいから生むのではないですか。
「国家の支援が有れば産むけど、無ければ産まない」と言うのなら、「そのくらいなら初めから産まなきゃいい」と感じます。そんな他人任せのお母さんに育てられる子どもが不幸です。そのような〝母親〟は、日本的に言うなら良き〝お母さん〟ではないのです。
コミュニタリアンは、ある意味では閉鎖的で因習的であり、それゆえ排他的で伝統を重んじる〝古風〟な保守とみなされてきました。ですからたとえば、古典派経済学のアダム・スミス、リカードの自由貿易主義に反対して、歴史学派経済学を提唱し保護貿易主義を主張したリストも、初期のコミュニタリアンと言えるかもしれません。
明治の日本では、国粋保存主義を唱えた三宅雪嶺や、日本文化の保護に尽くした岡倉天心などが、そのはしりと言えるでしょう。戦後、この国粋主義は、悪しき戦前の思想を代表する、狂信的で不合理な考え方として、左翼の攻撃の的となってきました。伝統的なもの、愛国的なものは、日の丸・君が代から神道・皇室尊重に至るまで、すべて間違った全体主義・軍国主義の思想に通じると、排斥されてきたのです。
しかし実際には、国家社会主義・全体主義の思想は、科学信仰と理性信仰に基づき、スペンサーの社会進化論に触発されて生まれた思想であり、不合理なものを払拭し、神への信仰心を否定した、いわば近代の申し子のようなものでした。
それに対して、不合理なものを認め、信仰心を重視するコミュニタリアニズムは、むしろその対極にある思想と言えます。その本質は「世のため人のために努力する」という姿勢です。これもまたアイン・ランドがもっとも嫌ったものですね。
しかし、わたしはランドは果たしてまともなコミュニタリアンに会ったことがあったのだろうか、と疑問なのです。「近代的な個の確立」の思想に毒されていない〝屈託のない利他の感覚〟を、ランドが知っていたとは思えないからです。そんなランドの生き方は、人としてあまりにもわびしいものにわたしには感じられるのです。彼女が自分を無条件で崇拝する人々からなるコミュニティを必要としたのも、無理からぬことです。ランドは寂しかったのでしょう。
リバタリアンの代表者であるニーチェ、ランド、大川隆法の共通点は、熱狂的で絶対的な崇拝者の共同体を周囲につくったことです。彼らはそのコミュニティによって支えられ、生かされるのです。そこに彼らの主張する思想と、現実の彼らの精神や生活との間のギャップが見うけられます。
現代の世界においてコミュニタリアニズムは、ランドに代表されるようなモダニズムの思想を乗り越えて、ポストモダンの急先鋒をゆく思想であるとわたしは考えます。〝理性への無限の信頼〟という近代人の思考回路を離れて、〝必ずしも理性のみに頼りきらない〟という立ち位置をとります。そしてスピリチュアリズムや土着の信仰など、不合理なものにも違和感なく頼ることができるのです。
このような不合理の容認は、リバタリアンやリベラルから、反知性主義であると批判されています。反知性主義とは、「データや証拠に基づかない直観や感情や肉体感覚をもって、物事を判断するあり方」です。しかし、コミュニタリアンから見ると、データや科学的根拠のみを判断の基準にするあり方こそが、不自然に感じられるのです。
この世でもっとも不合理なものは〝人間の精神〟です。この奇々怪々なる〝人間〟を、コミュニタリアンは第一に頼りとし支えとします。それゆえ、コミュニケーション能力の優劣が、社会全体の死活問題を左右すると考えます。
もっとも大切にするのは、個々人の〝共感力〟に基づく〝共生〟です。年寄りだって、どんなにゆきとどいて至れり尽くせりであろうと、豪華な施設に入れられるより、質素な家でも孫やひ孫と一緒にいた方が、張り合いがあって楽しいに決まっています。それが〝共生〟です。
さらに言えば、大富豪が使用人をあごでつかうような関係を、コミュニタリアンはもっとも嫌います。なぜなら、人が人に対して優越感を抱くことを、はっきり間違いだと〝感じる〟からです。このことは、リベラルが頭ではそのような〝振る舞い〟を間違いだと〝考え〟ても、社会において個々人が実際に思ったり感じたりすることまでは関知しないのとは対照的です。
その意味では、「共感能力は人間の最も人間らしい能力である」と述べたフィリップ・K・ディックこそ、アーシュラ・K・ル・グィンやドストエフスキーと並んで、真のコミュニタリアンのひとりであったとわたしは思うのです。たとえ本人が自分のことをコミュニスト(共産主義者)だと思っていたとしても、です。
もし、あなたがコミュニタリアニズムの本質について知りたいと思ったら、ディックの「流れよ我が涙、と警官は言った」や、ル・グィンの「所有せざる人々」、それからドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでみてください。
*日本におけるコミュニタリアニズムの政党は、今は亡きかつての1970年代までの「自民党」です。今も生き残っているコミュニタリアン政治家は、石原慎太郎ぐらいでしょうか。しかし石原は、リバタリアン政党の「日本維新の会」と合流してしまいました。これは恐るべきミスマッチとしか言いようがありません。これもまた、小沢一郎の作った小選挙区制というシステムのせいと言えるでしょう。根本的にこの国の政治風土には二大政党制は合わないのに、無理やり二大政党制を持ち込もうとした小沢氏の罪は本当に重いです。
*今日12/16、衆議院議員総選挙が始まりましたが、結果はわかりきっています。自公の圧勝です。そして、5割をはるかに超える大量の死票が出るでしょう。腹立たしいことですが、これが小選挙区制というものです。
【おわりに】
リバタリアンの自由を貴ぶ自己責任のあり方も、リベラルの個人の尊厳を守ろうとする姿勢も、コミュニタリアンの共同体への愛着や尊重のあり方も、すべてが人として大切なものです。本来は、立ち位置として分け隔てすることこそ不自然なのです。
しかし、今日の感覚では、そうした当たり前のことが、当たり前のこととして通用しない。それが、本当に残念です。けれども、皆さんが「自分にはどの立ち位置にも一理あると思える」と感じたとしたら、むしろ極めて健全な感覚ではないかと思います。