【 曠日 】
蓬けた黒髪が牢の油灯で、その目許に影を落としている。
揺れる灯の中に浮かび上がるあ奴は、まるで誰かの
恐ろしい夢から彷徨い出でた悪鬼のようだ。
誰より明るく、闊達で、活力に溢れていたあの弟と
同じ人間だなどとは、到底思えん。
「……頼むヒド。これ以上は、失えない。失いたくない」
薄暗い牢の柵の向こう、地に膝をつき顔色を失い、
それ以上言葉が続かずにがくりと項垂れるあ奴に向かい、
俺は黙ったまま、首を縦に振った。
そうでもせねば、あ奴の方が今そこで息絶えそうだった。
心労で、過労で、何よりも絶望の余り。
ムン・チフ隊長を喪い、メヒを逃がしたまま満足に消息も掴めず、
それでも俺たちを逃がしたいと、昼夜を問わずに こうして牢に忍び込み。
俺たちは皆、末弟のお前を失うことが何よりも怖かった。
それこそが俺たちに対する、今のお前の心の内だとも分かっていた。
「分かった。行け、ヨンア。俺も他の奴に伝える」
そう伝えると、あ奴はようやく少し安心したように、
真白く強張った頬に、ほんの僅かだけ笑みを浮かべた。
そして一度だけ頷き、牢の窓枠へと手を掛け飛びあがり
そこから外へと、身を躍らせて消えた。
閉じ込められた牢の扉を、指先で軽く触れてみる。
錠のかかったその扉は、ただ擦れるような陰鬱な音を立てるだけだ。
「…つまらぬ」
俺は軽く息を詰め、丹田の気を指先へと集めた。
指を軽く振ると、さっきまで空しく音を立てるだけだった その扉が、
ぎいと重い音で開いた。
扉を足先で軽く蹴り、俺は外へと踏み出した。
扉に掛かっていた錠は、半分に切断され、牢の床へとごろりと落ちた。
昼でも薄暗い牢の中、俺は手近な牢の錠を風功で破っていく。
その中から次々に、俺の、ヨンアの家族であり、同士であり、
兄弟である懐かしい影が、音を立てずに出てきた。
俺たちは牢の外で頷きあうと、一斉にヨンアが開いておいた
あの窓から、同じように外へと身を躍らせた。
******
「さて、どうする」
脱獄後に集まった屋敷は、その昔ヨンアの父上チェ・ウォンジク殿が、
ムン・チフ隊長へ、赤月隊の隠れ場所にと寄贈した場所の一つだった。
牢を抜けた俺たちは、ひとまずそこへと足を向けた。
常に単独で隠密行動を取ってきた赤月隊故に、この隠れ屋敷は
禁軍にも官軍にも把握されてはいない。
牢抜けの罪人の影が十も二十も纏まっていても、
周囲の木立の影はこそりとも揺れぬ。
拍子抜けするほどに、それは長閑な光景だった。
その杉木立の影絵の上に、間抜けな白い月がぽかりと浮かぶ。
「……ヨンア?」
集まった面々と対しているヨンアは、黙りこくったまま身動ぎもせず、
立てた片膝に額をつけている。
俺達がじっと見つめると、ヨンアが静かに顔を上げた。
顔を上げ、その場に集まった顔を、一つずつ見つめる。
黒々とした真っ直ぐな、目を逸らすことも嘘も許さぬ
あの若い虎のような眸で。
どれだけ形相が変わっても、眸だけはまだそこに光っていた。
「逃げてもいい、留まっても。留まるなら、手裏房に話を通す。
もう闘わなくてもいいんだ、だから」
だから、好きに生きよう。家族でいよう。
それ以上の言葉を飲み込む、お主の気持ちはよく判る。
ムン・チフ隊長から受け継いだ最期の言葉を抱えきれず、
闇の中で悶え苦しむ、そのお主の痛みが。
俺たちは、その言葉にそれぞれに頷いた。そうしてやるしかなかった。
隊長。俺は、貴方を少しだけ恨みに思う。
兄とし、父とし、隊長としどれ程敬愛しても、 いや寧ろ敬愛するからこそ、
この年若い弟に、あれほど残酷な 言葉を残した貴方を。
─── ヨンア、お前が家族を護れ。
この男が、それをどれ程真っ直ぐに受け止めるか。
受け止めきれぬ時のその恐ろしさと、どれ程深く対峙するか。
貴方は、知っていたはずだ。
そして貴方は、判っていたはずだ。
野に放たれたとて、俺たちには戦いの道しかない事を。
戦いの刹那にしか、生きる価値を見出せぬ事を。
護ることでしか、己の生の意味を証明できぬ事を。
ご自身がメヒを庇いその命を散らしたものを、何故。
何故この真っ直ぐな、嘘の吐けぬ弟に、これほど重い石を、
生涯抱え込まねばならぬ、呪詛のような声を遺したのですか。
「そうだな」
「ヨンア、心配するな。もう良いんだ」
俺たちの中から、そう声が上がる。
心からそう思っているわけではない。 ただ目の前にいる、この弟を
安堵させたい一心で。
「頼むから」
ヨンアは、それでも懸命に俺たちに繰り返す。
その震えを隠すように、あの唇を一文字に噛み締めて。
「頼むから」
そう言って、俺たちの顔から目を背けるように、立膝へと その額を戻す。
そしてそこへ、深く息を吐いた。
俺たちは、俯いたままのヨンアの肩を抱き、背を叩き、
髪を乱すように乱暴に撫で、無理に笑い声を上げた。
誰もが皆、どこかで分かっていた。
俺達の全ての心の、大切な何処かが、あの日あの皇宮で
あの憎き王に、剣で刺され、血を噴き、息絶えたことを。
目の前でその身を固くして小さく震える、末弟のように。
赦さぬ。
あの王もそして皇宮の者共も、あの日起こった全てを
俺は生涯決して赦さぬ。
間抜けな白い月に向かい、俺は咆える。
二度と、俺たちの心を喰い尽くさせはせぬ。
二度と、俺たちの心を弑させはせぬ。
足を止める事も、身勝手な権力に屈することも
二度と、俺たちの身に起こさせはせぬ。
この弟に血涙を流させたことを、俺は決して赦しはせぬ。
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新リク話【 曠日 】 開始です。
194. ヒドヒョンの話を
赤月隊を離れてからヨンに再会するまでのヒドヒョンを。
また ヒドヒョンにとって 魂の片割れに出逢う素敵な
ラブストーリーを(≧∇≦)
闇から救い出して下さいませ(*^o^*)
(ぐりっちさま)
記念すべき一人目の創作キャラ・ヒドひょん・・・
そしてヒドひょんのモデルは誰ですか、と当時聞いて頂き
お伝えした通り、一貫してチョ・インソン氏です。
明るさの中のド暗い感じが好きです。
どうなるか、読んで頂ければ嬉しいです。
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