半時ほど後、ヨンが男達を始末して戻って来ると、あれ程荒らされた家屋の中は全て綺麗に片付けられ、何事も無かったと言わんばかりに清々しい空気が流れていた。
「ヨン。お前さんはうちを潰す気かい。あんなのを招き入れてくれて、まったく。このお代は高く付くからね、覚悟しな」
唯一の名残とも言うべきマンボ姐の文句を軽く聞き流しつつ、
「で、あの、は?」
と中途半端な空間を指差しヨンが問う。
マンボ姐は頷き、
「あの子なら二階の部屋だよ。先に寝るように言ったから、今頃はもうとっくに寝ちまっただろうさ」
そう聞くとヨンはついと視線を逸らし、そのまま奥へ行こうとした。けれど、
「可哀想に、怯えて震えてたよ」
と最後に添えられたマンボ姐の言葉に、ヨンはぴたりと足を止めて二階を振り仰ぐ。
そして再び階段を上がり、そっと部屋の前に立った。
すると、
「おにいちゃん? でしょ?」
中からウンスの声が聞こえてきた。
野生並みの勘だと軽く驚いたヨンは、扉に手を伸ばすも今更ながら逡巡し、扉は開けず、ただ外から声をかけた。
「起きていたのか」
「うん… 眠れなくて」
部屋の中から届く声が、どうもか細く頼りなく、ヨンは静かに扉を開けた。
布団の中にきちんと収まったウンスが、眼だけをこちらを向けている。
その眼を真っ直ぐ見つめ、
「怖い思いをさせて、悪かった」
そうウンスに謝った。
するとウンスは「ううん」と首を振り、
それからややあって「…うん」と頷き、
「… 怖かった」
と薄い布団を持ち上げて、顔を隠してしまう。
その様子に、
一人では怖くて眠れない。
確かそう言っていたと、ヨンは躊躇しながらも部屋へ足を踏み入れ、先刻と同じ様に寝台の端にゆっくりと腰を下ろした。
が、何時まで経ってもウンスが顔を出さない。
「おい」
とヨンは布団をちらりと捲り、中のウンスの様子を覗いた。
布団の中で、ウンスは泣いていた。
「… お家に帰りたいよお」
両手で必死に涙を拭くウンスの泣き声が、次第に大きくなっていく。
「泣くな…」
ヨンは、困惑気味に額の髪をぐしゃっと乱雑に掻き混ぜた。
一頻り泣いたらすっきりしたのか、暫くするとウンスは徐に起き上がり、両手で眼を擦りながら寝台の上にぺたんと座った。
今度は何事かと軽く仰け反るヨンの目の前で、ウンスはずりずりと少し移動して、寝台の上に隙間を空ける。
「ねぇ、おにいちゃん」
「… 何だ」
「あのね… その…。
一緒に、寝てほしいの。
もちろん、ずっとじゃなくていいから。今だけ」
さらりと言うウンスに、ヨンは弾かれた様に立ち上がった。絶句するヨンに、
「お願い!怖くて怖くて、一人じゃ眠れそうにないんだもの」
ウンスはそう言って、合わせた両手の陰から上目遣いでヨンを見上げる。
「俺が …?」
ヨンが口籠る。
何故俺が…。マンボ姐がまだ適任ではないか。
子供とはいえ、添い寝をする程の赤子ではない。
赤子でないなら、つまり…。
しかし、そうは思えど不思議と無下に却下する気も起こらない。暫し悩んだ末、
「… 今だけだぞ? 二度としないからな?」
周囲の気配を探りつつ、手に持つ鬼剣は枕もとに立て掛け、出来るだけ寝台の端に横たわろうと体勢を変えた。
それを見たウンスは、嬉しそうにいそいそとさらに場所を空けて横になり、ばさりと布団をかけた。
ヨンは溜息をつきながら、掛け布団が自分にかからないようウンスの方へ押しやり、きちんとかけ直してやる。
子供の添い寝、など、した事がない。
記憶の彼方に朧気に残る母の面影を思い返しながら、戸惑いつつもそろそろと手を伸ばし、その昔母がヨンにしたであろう、布団の上からウンスの胸の辺りをとんとんと軽く叩いてみる。
一度に色々な事が降りかかり、恐らくはずっと緊張状態にあったウンスも、漸く人心地ついた様で、良く見ればまだ子供らしい丸みを帯びた頬にも溌剌とした赤い色が戻って来た。
人の温もりに心がまるく落ち着いたウンスは、ずっと気になっていた事を口にした。
「ねぇ、おにいちゃん」
「ん」
「痛い? 背中…」
「… 否、別に…」
「良かった」
ウンスは大きな胸のつかえが取れた様ににっこりと笑って、今度こそ寝ようと眼を閉じかけた。
この時、ふとウンスの視界にこれまで見かけなかった黒い物が飛び込んできた。
ヨンの懐に無造作に突っ込まれた黒い布がはみ出して、布団にこぼれ落ちている。
「これ、なあに? ハンカチ…?」
ウンスはもぞもぞと動くと勝手にそれに触れ、つまみ上げて手に取った。
はらりと開いた、それ。
黒地に浮かぶ赤い模様。
ただの月の模様。
なのに…。
その真っ赤な色が、一瞬で心を強く染め上げた。